バジルが将棋好きにならなかったら、絶対に手に取らなかったであろう一冊の本。

これまでは、棋士といえば羽生善治しか知らなかったが(あと、林葉直子に「今から突撃しまーす」って言ったオッチャン…誰だったっけ??)、この村上聖も「東の羽生、西の村上」と呼ばれるほどに天才的な棋士だったらしい。

「だった」と言うのは、幼い頃からの持病で、わずか29歳でこの世を去ったから。

小学生の頃に腎臓病を患って将棋を覚え、常に死と隣り合わせにいながら、文字通り命をかけて将棋に取り組む姿。

なんつーか…
バジルは軽々しく「プロになりたい」と言っているが、ホントにそれでいいんだろうかと思ってしまうほど、鬼気迫るものがあった。

これもまた、バジルが将棋好きにならなかったら知り得なかったことだが、将棋のプロになるには、まず、唯一のプロ養成機関である「奨励会」に入る必要がある。

その奨励会に入会するのも、プロ棋士の門下生であり、推薦を受けること。満21歳の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会となる…などの厳しい条件がある。

さらにプロに認定されるのは四段になってからだが、奨励会で年2回「三段リーグ」があり、そこで1・2位の成績を取らなければ四段に認定されない。

プロになるにも年齢制限があり、29歳までに四段になれなかったら奨励会を退会しなければならない。奨励会を退会した段階でプロへの道はついえる…というわけ。

そう考えると、中学生の頃に四段になり、七冠を保持した経歴もあり、今なおA級で第一線で指している羽生善治って本当に天才的な棋士だ。

その羽生善治に匹敵するほどの実力を持った村上聖…彼がまだ生きていたら、きっと将棋界はもっと違ったものになったんだろうな(って私は将棋界の何も知らないけど)。

でも、彼が健康体ならば、命を削ってまで将棋を指す必要なんかなかっただろうし。常に命の火をかろうじて保ちながら将棋盤に向かっていたからこそ、伝説的な存在になったんだろう。



ちょっと感動したのは、阪神大震災の時に、村上聖と羽生善治がいち早く多額の義援金を寄付したこと。村上聖は、将棋で稼いだお金を自分のことにはほとんど使わず、フォスター・プログラムに使ったりしていたらしい。

バジルにも、彼の人生から何かを感じ取って欲しい…と思い、子ども用に文体を簡素化した文庫本を注文した。

何事もプロになるのは難しく、ましてや、その世界で大成するためには、血のにじむような努力は欠かすことができないが、将棋の世界は年齢制限があるだけにかなり厳しい…きっと、誕生日があまり楽しくないイベントになるんだろうな。。

コメント

まひる
まひる
2007年11月11日8:04

29才の年齢制限って、最近、少し制限が緩んだんじゃなかったですか?社会人になってから、大会に出て、上位にいつも名を並べているような実力があれば、後日認定されることもあるようになって、今年だか去年ひとり、その制度で認定された棋士が誕生した、ようなことを聞いたような。
いずれにしても、八百長のない、クリーンでシビアな世界という気がしますよね>囲碁将棋界・・・ちょっとオタクっぽいけど(^^;

羽生さんの思考回路って「文」じゃなくて「面」なんですってね。
棋板をそのまま写真のように頭の中にとりこむことができる・・すごい才能だなぁ。。その才能と努力とがあってこそ、ずっと第一線にあり続けることができるんでしょうね。
右と左の間違い探しなんてあっという間に気付いてしまうんだろうなぁ(^^;

オリーブ
オリーブ
2007年11月11日16:32

そうそう、えっとなんかあるんですよ。詳しいことは忘れちゃったけど(汗)。まひるさんがおっしゃってるのは瀬川晶司という人で(バジル談)、サラリーマンからプロになったそうです。エンジニアか何かやってた人で、本も書いて、それが読書感想文コンクールの課題図書になったりしていたので、将棋以外の世界も知ってる人なんですよねー。

羽生さんは、色んなパターンを瞬時に判断できるみたいですね。かつては七冠を保持していたものの、今は二冠になったことから「弱くなった」って言う人もいるみたいだけど、七冠を全部防衛し続けることなんてできっこありませんよね〜

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索