今日は母と一緒にオジジのうちへ。
お正月の直前に風邪をひき、咳がひどかったために圧迫骨折をしていて、オマケに肺気胸まで患って、満身創痍だったオジジ。
大好物のお餅も一切口にせず、また、おしゃべりにも参加せず(普段はすごく話好き)、土色の顔をしてぐったりとコタツで横たわっている姿を見ると、誰もが「来年はもう、オジジなしのお正月になるかもしれない」と思った(と思う)。
でも、そんなオジジももう90歳。
いつ「お迎え」が来てもおかしくない年頃である。
私が小学校5年の頃、オババが亡くなった。
10年ほどずーっと病に伏せていて、オジジが献身的に看病をした。オジジだって目が見えないのに、オババの下の世話もしたし、簡単な食事の支度も、掃除も。オジジは本当にすごいと子ども心に感動したものだ。
大変だったと思うけど、オババが亡くなったとき、お棺にすがり付いて「ワシを置いていくな」って号泣していた。そしてそれ以来、ずっと「オジジももうそろそろ死ぬかも」と言っていたが、それから25年も経つ(笑
「そろそろ死ぬ」と言っていたのは、オジジ的な根拠があったらしい。最近知ったことだけど、「仲のいい夫婦は、片方が死んだら、もう片方もすぐにお迎えが来る」という言い伝え(?)を固く信じていたらしい。
オジジとオババは、文字通り苦楽を共にして長年連れ添った仲のいい夫婦だったので、オジジは「きっとすぐに迎えに来る」と信じていたそうだ。
しかし、「お迎え」は来ないまま…25年経ってしまった。
そんなオジジも、今年はもう持たないかもと思っていたが、なんのなんの。今日会ったオジジは血色も良く、元気そうだった。聞くと、圧迫骨折はほぼ完治し、肺気胸も「ま、この程度なら大丈夫でしょう」というところまで回復したそうだ。お正月のオジジとはまるで別人のような食べっぷりでビックリしてしまった。
やっぱりオジジにはいつまでも元気でいて欲しい。
オババに「お迎えはもう少し待って」とお願いしておかなければ。
お正月の直前に風邪をひき、咳がひどかったために圧迫骨折をしていて、オマケに肺気胸まで患って、満身創痍だったオジジ。
大好物のお餅も一切口にせず、また、おしゃべりにも参加せず(普段はすごく話好き)、土色の顔をしてぐったりとコタツで横たわっている姿を見ると、誰もが「来年はもう、オジジなしのお正月になるかもしれない」と思った(と思う)。
でも、そんなオジジももう90歳。
いつ「お迎え」が来てもおかしくない年頃である。
私が小学校5年の頃、オババが亡くなった。
10年ほどずーっと病に伏せていて、オジジが献身的に看病をした。オジジだって目が見えないのに、オババの下の世話もしたし、簡単な食事の支度も、掃除も。オジジは本当にすごいと子ども心に感動したものだ。
大変だったと思うけど、オババが亡くなったとき、お棺にすがり付いて「ワシを置いていくな」って号泣していた。そしてそれ以来、ずっと「オジジももうそろそろ死ぬかも」と言っていたが、それから25年も経つ(笑
「そろそろ死ぬ」と言っていたのは、オジジ的な根拠があったらしい。最近知ったことだけど、「仲のいい夫婦は、片方が死んだら、もう片方もすぐにお迎えが来る」という言い伝え(?)を固く信じていたらしい。
オジジとオババは、文字通り苦楽を共にして長年連れ添った仲のいい夫婦だったので、オジジは「きっとすぐに迎えに来る」と信じていたそうだ。
しかし、「お迎え」は来ないまま…25年経ってしまった。
そんなオジジも、今年はもう持たないかもと思っていたが、なんのなんの。今日会ったオジジは血色も良く、元気そうだった。聞くと、圧迫骨折はほぼ完治し、肺気胸も「ま、この程度なら大丈夫でしょう」というところまで回復したそうだ。お正月のオジジとはまるで別人のような食べっぷりでビックリしてしまった。
やっぱりオジジにはいつまでも元気でいて欲しい。
オババに「お迎えはもう少し待って」とお願いしておかなければ。
コメント
うちのおばあちゃんも94ですが、
やっぱりかれこれ25年前くらいにおじいちゃんに先立たれ、
おむかえこないかな、といつも言っています。
オジジさん、これからもお元気で孫、
ひ孫に囲まれて幸せだといいですね。
ボンバーちゃんのおばあちゃまも、ハンナちゃん・カンちゃんの成長をできるだけ長く見守れますように。。