法事

2006年1月15日
今日は母方の実家の法事。
私の祖母の23回忌だった。

祖母が亡くなったのは、私が小学校5年生の頃の1月16日。
身内の死に触れたのはそのときが初めてで、ものすごくショックだったのを覚えている。

祖母は、私が物心ついた頃からずっと病気で寝たきりだった。
祖母の病気が発覚した頃、私たちは東南アジア某国に住んでいて、私と弟と母の3人で急遽一時帰国したのだった。

帰国してからもずっと病状は回復せず。
でもオジジがそれはそれは献身的に介護をして。オジジも全盲で、世話もさぞかし大変だっただろうと思うけど、病院に閉じ込めずに自分で世話をしようと思ったのだろう。オジジって懐が広いなぁ、私も将来結婚するなら、オジジのような人にしたいと子ども心に思ったものだ。

当時住んでいた家がオジジの家からはちょっと離れていたので頻繁には遊びにいけなかったけど、遊びに行ったらおばあちゃんは「そのセーターいいね。お母さんに編んでもらったの?」と些細な事に気づいて話しかけてくれるのだった。それもまた、弱々しくも温かい声で。

そんなおばあちゃんが亡くなった1月16日は、ひどい大雪で。
私と弟が目覚めると、母はいなかった。父に聞くと「おばあちゃんが亡くなったから、お母さんはオジジんところに行った。オリーブもミントもすぐに準備しなさい」と言われた。何が何だか分からないまま喪服代わりの制服を着て、3人で無言で車に乗り込んでオジジの家に向かった。

おばあちゃんは、何だか眠っているようだったけど。
泣き腫らした目の母が「おばあちゃんにさよならしなさい」と言ったので、弟と2人で手を合わせた。

出棺のとき、オジジが号泣しながら棺にしがみついて「行くな!行くな!」と叫んでいた。手探りの介護、それも7年越し。しんどいと思ったこともあっただろうし、くじけそうになったこともあると思う。でも、オジジにとっておばあちゃんは one and the only なんだと思った。

で。
実はこの日、私はものすごい高熱が出ていたのだ。
でも、そんなこと言い出せるような雰囲気ではなくて。
ずっと我慢して、お葬式が終わった時には「ああ帰れる」と思ったけど、親族で食事って話になっていた。

イカの刺身が大好きだった私に、食欲がなかったのか母が「オリちゃん、イカ好きでしょ。食べ」と分けてくれた。高熱が出てるときに、イカの刺身のもったり感は正直辛い。でも、おばあちゃんが亡くなって気落ちしてる母に「熱があるからいらない」なんてとてもじゃないけど言い出せなくて、我慢して食べた。今でもイカのお刺身は大好きだけど、それを食べるたびに、あの寒い寒い雪の日の、母の泣き腫らした目と、オジジの声を思い出してしまうのだった。

あれからもう23年なのかー。早いな。
おばあちゃん、生きてたらいくつだったのかな。もう80歳は超えてるだろうな。おばあちゃんが亡くなったとき、私の母は、奇しくも今の私と同い年。

法事は賑やかに終わった。
写真で見るおばあちゃんは、今の母にそっくりだった。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索