甘えさせること?甘やかすこと?
2004年12月1日正直な話、私は子どもが嫌いだ。
…ということを、出産前は公然と言っていたので、私が妊娠したとき、周りの誰もが心配していた。果たして私が「母親」になりきれるのか。
当然、一番心配していたのは私自身だったんだけど。
妊娠中、つわりがひどくて、これも胎児という「異物」を排除しようと体が反応しているのだと思い込んでいたし、日に日に大きくなっていく自分のお腹が恐ろしく思えたりもした。
で、バジルを出産したわけだけど、我が子は最高に可愛い。
毎日成長する姿を見るのは楽しいし、彼が私たちのところに来てくれたお陰で、今まで考えもしなかったような経験ができた。
とは言え、今でもよその子は苦手だったりする。
特に、出産前に「だから私は子どもが嫌いだ」という条件を備えた子どもら。うるさい、汚い、生意気、臭い。
もともと子どもが嫌いだったから、子ども嫌いの人の気持ちがよく分かるのだ。だからというわけではないが、私はバジルにすごく厳しいと思う(躾の面で)。
私は、子どもは社会の宝、だなんて思わない。
子どもは親の宝ではあるが、社会ではお荷物だ。
だから、その「お荷物」をきちんと躾け、教育(ハード面でもソフト面でも)を受けさせ、一人前にして社会に送り出すのが親の役目だと思う。
こんなことを書くと、帰国子女(の端くれ)が偉そうに…と思われるかもしれないが、日本の親は甘い人が多いことに大きなカルチャーショックを覚えたことがある。
子どもは社会の「お客様」として扱われてることに違和感があった。だから「お子様」なんて言葉が普通に使われているし、エスカレーターでも「ぼっちゃん、おじょうちゃん、エスカレーターに乗るときは…云々」なんておぞましいアナウンスがエンドレスで流れたりする。
ヨーロッパの親は、子どもをまるで動物のように躾ける。
公共の場で子どもが騒げば、烈火のごとく怒る。
レストランでディナーする時は、ちゃんと行儀良く食べられる子(その年齢に達した子)しか連れて来ない。まだフォークも満足に持てない小さい子は、シッターに預ける。
そもそも、ファミリーレストランなんてものもなかったりする。
そりゃ、中には呆れるくらい行儀の悪い子どももいるけど、そういう子たちも、お年寄りが電車に乗ってきたらすかさず席を譲るし、ドアだって開けて待っててくれる。
彼らを手本にしてるわけではないけど、私はバジルを「お子様」扱いしたくないのだ。
いくら私が厳しくしても、バジルが私を嫌ったり避けたりしないのは、きっと私の愛情が彼に届いてるから…と勝手に思ったりしている。
そんな中で、「甘やかす」のと「甘えさせる」ことは別問題なんだなぁと思ったりするのだ。
甘やかすのは、私の中では「あり得ない」こと。
でも、甘えさせるのはとても大事だと思う。今の時期に、思いっきり親に甘えて育つと情緒も安定するだろうし、叱りつけても適当なところで許してあげると、他人に対して寛容な人間になるんじゃないかと思ったりもしている。
でも、そんな私をパセリが「甘い」というのだ。
バジルが、「ママと一緒に寝たい〜」と甘えると、「じゃ、絵本でも読みながらゴロゴロしようか〜」と一緒にベッドに入るのも、「もう5歳なのに…」と言ったりする。
もう5歳?
まだ5歳じゃないの??
突き放すのがいいやり方なのか?
そりゃ、15歳とか20歳とかになってまで、「ママ〜」と甘えられたら、私の子育ては失敗した…と思うだろうけど、5歳で決め付けられちゃタマランってば。
…ということを、出産前は公然と言っていたので、私が妊娠したとき、周りの誰もが心配していた。果たして私が「母親」になりきれるのか。
当然、一番心配していたのは私自身だったんだけど。
妊娠中、つわりがひどくて、これも胎児という「異物」を排除しようと体が反応しているのだと思い込んでいたし、日に日に大きくなっていく自分のお腹が恐ろしく思えたりもした。
で、バジルを出産したわけだけど、我が子は最高に可愛い。
毎日成長する姿を見るのは楽しいし、彼が私たちのところに来てくれたお陰で、今まで考えもしなかったような経験ができた。
とは言え、今でもよその子は苦手だったりする。
特に、出産前に「だから私は子どもが嫌いだ」という条件を備えた子どもら。うるさい、汚い、生意気、臭い。
もともと子どもが嫌いだったから、子ども嫌いの人の気持ちがよく分かるのだ。だからというわけではないが、私はバジルにすごく厳しいと思う(躾の面で)。
私は、子どもは社会の宝、だなんて思わない。
子どもは親の宝ではあるが、社会ではお荷物だ。
だから、その「お荷物」をきちんと躾け、教育(ハード面でもソフト面でも)を受けさせ、一人前にして社会に送り出すのが親の役目だと思う。
こんなことを書くと、帰国子女(の端くれ)が偉そうに…と思われるかもしれないが、日本の親は甘い人が多いことに大きなカルチャーショックを覚えたことがある。
子どもは社会の「お客様」として扱われてることに違和感があった。だから「お子様」なんて言葉が普通に使われているし、エスカレーターでも「ぼっちゃん、おじょうちゃん、エスカレーターに乗るときは…云々」なんておぞましいアナウンスがエンドレスで流れたりする。
ヨーロッパの親は、子どもをまるで動物のように躾ける。
公共の場で子どもが騒げば、烈火のごとく怒る。
レストランでディナーする時は、ちゃんと行儀良く食べられる子(その年齢に達した子)しか連れて来ない。まだフォークも満足に持てない小さい子は、シッターに預ける。
そもそも、ファミリーレストランなんてものもなかったりする。
そりゃ、中には呆れるくらい行儀の悪い子どももいるけど、そういう子たちも、お年寄りが電車に乗ってきたらすかさず席を譲るし、ドアだって開けて待っててくれる。
彼らを手本にしてるわけではないけど、私はバジルを「お子様」扱いしたくないのだ。
いくら私が厳しくしても、バジルが私を嫌ったり避けたりしないのは、きっと私の愛情が彼に届いてるから…と勝手に思ったりしている。
そんな中で、「甘やかす」のと「甘えさせる」ことは別問題なんだなぁと思ったりするのだ。
甘やかすのは、私の中では「あり得ない」こと。
でも、甘えさせるのはとても大事だと思う。今の時期に、思いっきり親に甘えて育つと情緒も安定するだろうし、叱りつけても適当なところで許してあげると、他人に対して寛容な人間になるんじゃないかと思ったりもしている。
でも、そんな私をパセリが「甘い」というのだ。
バジルが、「ママと一緒に寝たい〜」と甘えると、「じゃ、絵本でも読みながらゴロゴロしようか〜」と一緒にベッドに入るのも、「もう5歳なのに…」と言ったりする。
もう5歳?
まだ5歳じゃないの??
突き放すのがいいやり方なのか?
そりゃ、15歳とか20歳とかになってまで、「ママ〜」と甘えられたら、私の子育ては失敗した…と思うだろうけど、5歳で決め付けられちゃタマランってば。
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